2022年は、史上初めてWorldsがラテンアメリカを訪れた年です。グループステージ以後は米国内に舞台を移したものの、ラテンアメリカは両手を上げてWorldsを歓迎し、同地域のプレイヤー達も全力でこれをサポートしました。今年のプレイインテージでは専用ルチャドールマスク「パーティー」要素たっぷりのウォッチパーティー「House of Worlds」などの催しも行われ、会場では全出場チームにラテンアメリカのeスポーツファンからの情熱的な声援が送られました。 

しかし、メキシコシティのWorldsにはひとつ重要なピース―― Javier Españaの姿――が欠けていました。彼は友人の間ではJavi、プレイヤーの間ではRiot Maggicalの愛称で親しまれ、ラテンアメリカのeスポーツ/プレイヤー/Riotにとって言葉に余るほど重要な存在でした。その彼が去る5月、40歳の若さで急逝してしまったのです。彼の死はラテンアメリカのプレイヤーにとって「地域におけるRiotの顔」の喪失であり、Riotにとってはライアターらしさを真に体現してくれた人物の喪失でした。 

「Javiは本当に情熱的でした。特にeスポーツへの情熱はオフィスでも一番だったと思います」Riotメキシコシティオフィスの同僚、Mariano Vivesは振り返ります。「コミュニティーの中心人物で、地域内プレイヤーの大黒柱。優れた人物、良き父親。ビデオゲーム業界で働くことの情熱を日々体現するかのような存在、類まれなる偉大なライアター。彼と共に働けたことは喜びでした」 

Javierについてメキシコシティのチームが語ると、笑い声と涙が同じ量だけこぼれます。同僚であり、リーダーであり、そして何よりも友だった男。 

「僕らは7年前、同じ日にRiotに入社したんです」社内でJavierと特に親しかったJuan Morenoは語ります。「Denewb(1週間の新ライアター向け導入プログラム)も一緒だったんですよ。"ライアター"が辞書に載っていたら、最初の説明文にはJavierって書いてあるはず、というような人物です。プレイヤーとコミュニティーのために全力を尽くしていた。そして今年、Worldsがメキシコシティにやって来た…彼の夢だったんですよ。でも彼はもう見られないから、僕らがしっかり見届けました」 

JavierはRiot社内の様々な側面に影響を与えた類まれなるライアターでもあり、妻子のためなら何も厭わない家族思いの夫でもありました。 

「Javiは仕事も優秀なんだけど、3人の子供と奥さんのことは問答無用で最優先していました」直近の数年間JaviのマネージャーだったSantiago Duranはそう振り返ります。「早起きして子どもたちのランチを用意し、学校に送ってから出社していた。でも出社した瞬間から正確無比な仕事マシーンになる。素晴らしい仕事をいくつもやり遂げてくれました。しかも深夜まで残業したりしない…というか、その必要がなかった。いつも家族でディナーを食べられるように気をつけていましたね。ただ子どもたちを寝かしつけた後は、深夜にLoLやVALORANTをプレイしていたみたいですが」

 
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ラテンアメリカのプレイヤーにとっての「Riotの顔」

ゲームで問題に直面したらMaggicalにコンタクトする。それはラテンアメリカのプレイヤーにとって本当に自然なことになっていました。サポートチケットの事でもアカウントの問題でも、まずはTwitterで @RiotMaggical 宛てにメッセージを飛ばす。すると彼が問題を解決してくれるか、少なくともしかるべき場所へ誘導してくれる。死去する数日前も、Maggicalはいつも通りプレイヤーたちのサポートをしていました。

「eスポーツ部門のベテランでTwitterでの認知度も高かったので、コミュニティーは何かトラブルがあると決まってJaviを名指ししていたんですよ」Santiagoは言います。「それが結果的に、コミュニティーで一番人気のミーム #CulpaDeMaggical を生み出したんです。直訳だと"Maggicalのせいだ"という感じでしょうか」 

スキルショットが当たらない? #CulpaDeMaggical。応援しているLLAチームが負けた? #CulpaDeMaggical。LLAのチケットが売り切れで買えない? #CulpaDeMaggical。すべてがMaggicalのせいでした。

しかし彼の死後、 #CulpaDeMaggical はMaggicalの追悼と栄誉を称えるタグへと変化しました。たとえば訃報から数週間後には、ラテンアメリカ全土のeスポーツチームが共通のメッセージを投稿しています。 

これはコミュニティーにとって彼がどれほど大きな存在であったかを示す証です。また知名度だけでなく、コミュニティーとの繋がりの深さも彼ならではでしょう。すべてはプレイヤーに対する献身、ゲームに対する情熱、そしてRiotのゲームを毎日プレイしてくれる人たちへの純粋な愛情ゆえのものです。 

「コミュニティーとの対話は時に難しいこともあります」ラテンアメリカのカントリーマネージャーでJaviとは長年共に働いてきたRafael Ojedaは言います。「彼はミームのネタにもなりましたが、難しい対話も担当していたんです。地域におけるRiotの顔だった。当初、コミュニティーの一部からは嫌われたこともあったんですよ。"ダメなことの責任は全部お前にあるってことだよな?" みたいな捉えられ方をしていて。でも時間をかけて対話を繰り返していくと、コミュニティーも彼の役割を少しずつ理解してくるようになって、やがてコミュニティーに愛されるようになったんです。その後は彼宛てに攻撃的なコメントが来ると、彼を支持するコミュニティーが投稿者をたしなめていましたね」 

その後、コミュニティーは更に進化し、コミュニティーが"彼の代わりに回答"する流れまで生まれていきました。

「Javi宛ての質問があまりに大量だったのを見かねて、コミュニティーがTwitterのボットを製作してくれたんです」Rafaelは説明します。「Javiには"このチャンピオンのバランスおかしいのはなぜ?"とか"アカウントが使えないんだけど?"などの質問が繰り返し届いていて、彼も毎回"それは僕の担当じゃないんだ"って返していたんです。それがあまりに何度も寄せられるものだから、そういう質問が届いたら回答の掲載されたサポートチケットに誘導するボットを、コミュニティーが作ってくれたんです。あのボットの存在は彼にとって誇りだったと思いますよ。彼の重要さ、コミュニティーにおける認知度の高さ、そして"愛され度"の証ですからね。だからこそ、彼の訃報はコミュニティーにとっても辛いものだったんです」 

しかし、時が経つにつれてこのボットもミームとなり、多くのプレイヤーがゲーム中に何か嫌なことが起きた時にメンションを飛ばすようになりました。彼の死後、ボットは活動を停止していますが、今もまだ数千というツイートが残っています。

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アルゼンチン、チリ、メキシコシティ…ラテンアメリカ全土を旅したJavi

アルゼンチン出身のJavierがRiotに入社したのは2015年のこと。当時南ラテンアメリカ担当チームが置かれていたチリ・サンティアゴのオフィス所属でした。やがてチームの規模が大きくなるとオフィスはメキシコシティへ移転、これがラテンアメリカ全体の本拠地となりました。

「メキシコシティのマーケティングチームで、Javiは私の右腕だったんです」Santiagoは言います。「私が2018年にRiotに入社した当時、Javiは私のチームじゃなくてeスポーツ関係の担当だった。でも私の入社から数週後、彼に全プロダクトの管理を任せることにした。ゲームとeスポーツの両方です。そしてJaviは入ったばかりだった私を支え、自らの専門だったeスポーツ/ゲームの様々な側面を教えてくれました」 

Riot入社当時のJavierはeスポーツプロダクションの仕事をしていましたが、そこから情熱と意欲で昇進を繰り返し、2022年にはチャネルストラテジーマネージャーに就任しています。しかしJavierの貢献がおよぼした影響は、肩書きひとつでは到底表現しきれません。 

「Javiは私が知る限り、一番自発性の高いライアターでした。誰かが身を挺してグレネードに覆いかぶさらねばならない、となったら迷わずやるようなタイプ」Rafaelは言います。「何か問題があったら、"俺に任せて"って言う。うちのチームに"一番手伝いを申し出てくれたのは誰だった?"と聞いたら、みんなJaviと答えると思う。プレイヤーサポート、パブリッシング、ブランディング、eスポーツ…全部やっていた」 

メキシコシティーの担当チーム(そしてRiot全体)は、これからも日々の業務の中で彼の存在を感じていくことになるでしょう。 

「私のチームに入ったJaviは、開口一番"コンテンツ制作のプロセスを変えていいですか?"って言ったんですよ」Santiagoは回想します。「そして1週間後、Javiは込み入った構造のスプレッドシートを私に見せながら、どういう流れで進めたいのかを逐一説明してくれた。そして導入してみると…変化は本当に劇的でしたね。現在、私たちは週に300本以上のコンテンツをパブリッシュ(公開)していますが、この物量もJaviがいなかったら不可能でした。今も私たちは、彼が2019年に構築したプロセスを一切変えずに使っているんです」 

これぞ"Javiらしさ"だと言うべきなのでしょう。困っている者がいれば快く手伝い、知識を共有し、プレイヤー体験の改善余地を探し続ける。改善策が思いついたら、絶対に実現させる。彼の圧倒的な情熱と意欲は社内の様々な分野でも伝説扱いとなっていますが、eスポーツ分野ではそれが一層顕著でした。 

「eスポーツに情熱を燃やすことの意味を、Javiは行動で示してくれました」Riotラテンアメリカでeスポーツプロダクトリードを務めるEduardo Cazaresは語ります。「彼と共に働けたことは私の誇りです。今も"彼ならどう言うだろう?"とよく考えます。いつだって正しい方向へ…プレイヤーにとっての最善へ導いてくれる人でしたから」

 
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世界を招くホスト都市、メキシコシティ

Javiは生粋のeスポーツ人間でした。短期間ながらプロとしても活動し、Riot入社前には"Coliseum Dragons"というチームも自ら立ち上げていたほどです。 

「メキシコにWorldsがやって来るというニュースに、オフィスで一番興奮していたのはJaviだったと思います」Santiagoは語ります。「プレイヤーと一緒に体験できることが大好きでしたから、きっとウォッチパーティーにも出ていたでしょう。いや、自分で企画・主催していたかな。そのほうがプレイヤーもワクワクしただろうし、本人もWorldsで色んなコミュニティーと会えるのを心待ちにしていたから」

メキシコシティがWorldsを迎えるにあたり、Javiは準備の全プロセスで中心的な役割を果たしていましたが、結局、彼が現地で体験することは叶いませんでした。 

「元気だった時の会話で、JaviはWorldsでデリバリーリードをやるんだと言っていた」Santiagoは回想します。「これはイベント実施に関わる一切の責任を担いたいという宣言だよね。彼が生きていたら別の手法を取っていた事もあったと思う。そしてJaviならきっと、それを心底楽しんでいただろうね」 

「目をキラキラさせている姿が目に浮かぶよ。そしてきっと、"そことあそこ、もっと面白いことができるんじゃないかな"って言うだろうね」Rafaelは話します。「そして問題点を指摘しつつ、それを片っ端から修正していく。そういうところが大好きでした」

Javiは故人となった今も人々の心に強く残っており、Worlds前のプリゲームショーでも#CulpaDeMaggical は再び姿を表しています。 

ラテンアメリカ史上初めてWorldsを迎えたメキシコシティは、その真価を十全に発揮してみせました。触れられるほど確かな情熱、試合数の多い日程でも途切れることなく響き続けた声援。 

「あの情熱と忍耐力は、Javiもファンを誇りに思ったんじゃないかな」Rafaelは言います。「彼がいたら喜んだだろうな。メキシコのファンがアルゼンチンのチームを応援する姿も誇らしく思ったはず。ラテンアメリカが団結し、LLA代表のひとつのチームを応援したわけだから」 

アルゼンチンのチームでメキシコ人選手3名と韓国人選手2名を擁するIsurus Gamingは、メキシコシティで圧倒的一番人気のチームでした。しかし観衆はどの試合においても、精一杯の声援を送り続けました。 

「LLAファンは地元地域を強烈に愛していますが、一方では世界中のチームのこともよく追いかけているんです」Eduardoは言います。「サッカーと同じです。応援する地元チームはあるけど、競技自体を愛好しているから、LCKやLECにも応援しているチームがあったりする。ここラテンアメリカにはもう君たちのファンベースがあるんだよ、って他のチームやリーグにも知ってほしいですね」 

Isurus戦を例外とすれば、ファンの熱気は常に試合内容そのものに注がれ続けました。一方のチームが集団戦で見事な勝利を見せれば称え、もう一方のチームがバロンスティールを決めた時も大声援を送る。ファンにとって最大の目的は、LoLの最高峰の試合を観戦することでした。 

「どこのチームかは関係ありません」Riotラテンアメリカでイベントプロデューサーを務めるMiguel Oyamburuは言います。「素晴らしい試合と優れたスポーツマンシップ、それこそが目玉なんです。もちろん情熱的に観戦し、大きな声援を送りますけどね」 

プレイヤーにとっては「Riotの顔」だったJaviですが、ラテンアメリカのeスポーツシーンにおける彼は地域有数の熱狂的サポーターでもありました。地域最高峰のプレイヤーがその実力を示せる環境を目指し、JaviはRiotに入社した瞬間からプラットフォームと配信の立ち上げを支援し続けていました。 

彼の死後、eスポーツコミュニティーはさまざまな方法で追悼を行っています。LLAでは出場チームが彼の名を載せたジャージを着用し、公式配信でも試合前に黙祷が捧げられました。そして、その流れはLoLを超えてラテンアメリカのプレイヤー層全体にまで波及。とあるVALORANTの試合では、2チームが銃を地面に置くことでJaviを追悼しました。 

 

 

Javiの貢献は世界中のライアターの胸にも

Javiの遺した貢献は、今も世界中のライアターを日々助けています。死去する数週間前、Javiはロサンゼルスの本社を訪れ、サミットで講演を行っていました。 

「ラテンアメリカオフィスのコンテンツプロモーションプロセスを発表しに行ったんです」Rafaelは振り返ります。「世界各地のチームがそれを聞き、その後部分的に取り入れたそうです。Javiは挑戦者だった。問われればいつでも率直な意見を述べる男でしたね。そういうところが大好きでした。常に挑戦し続ける同僚がいるって凄いですよ。しかも彼は、プレイヤーにとっての最善を実現する方法を求め続けていたわけですから」

そのマインドセットがあるからこそ、コミュニティーとの卓越した架け橋になれたのでしょう。自らもプレイヤーだったJaviは、Riotタイトルのプレイヤー体験を心から気にかけ続けていまいた。 

「Javiはプレイヤー体験を自分ごととして考え続ける人でした」現在はProject Lを担当しているコミュニティーリードBen “Draggles” Forbesは言います。「話していると、いつも暖かくも現実的な共感性、そして成熟した大人の視点を感じました。キャリアの早い段階で彼のような人と出会えて幸運でした。おかげで、議論の進め方を学べたように思います。地域チームとグローバルチームのバランスを理解し、話の焦点を問題解決に導き続けてくれる。オフィスでのJaviは、常にプレイヤーにとっての最善と、Riotにとっての最善を考え抜いていました」 

Ben(Draggles)は「ワイルドリフト」担当の時、ラテンアメリカのコミュニティーメンバーが #CulpaDeMaggical をもじったハッシュタグ #CulpaDeDraggles を使っているのを発見。Javiのミームはコミュニティーと言語を超えて広がっていました。 

Javiはまた、世界中のラテンアメリカンライアターで構成される従業員リソースグループ「Riot Unidos」の主要メンバーでもありました。2021年のラテンアメリカン文化遺産月間では、他のRiot Unidosメンバーと共にラテンアメリカにおけるコミュニティーの発展についてトークしています。

 

 

「Javierとは以前ラテンアメリカのeスポーツを手伝っていた時に面識がありましたが、その後"eスポーツシーンのラテンアメリカン"パネルディスカッションで会って、じっくり話す機会を得られたんです」ロサンゼルスオフィス勤務のRiot Unidosメンバー、Carlos Hernandezは回想します。「Javierは"プレイヤー体験を最優先する"という点においてまったくブレることがなかったですね。どんなに小さな決断であっても、プレイヤーに与える影響を熟慮するんです。だからこそ、SNSでもそれを理解したプレイヤーに愛され、支持されていたのだと思います。JavierはRiotにとっても真に特別なライアターでした。企業として成長を遂げる中で、原点である"プレイヤーに向けた目"を持ち続ける人物でしたから」 

もちろんRiotという"企業"にとってJaviは素晴らしい存在でした。しかし彼の本当の輝きは、"人"に対して降り注ぐものです。現在Riotには10年以上働いている人から一時的に籍を置いている人まで幅広いライアターがいます。そしてプレイヤーも、気が向いた時にだけプレイする人から毎日何試合もプレイする人までさまざまです。しかしその中で幸運にもJaviと交流を持てた人は、例外なく、彼の仕事と人柄からポジティブな影響を受けています。 

Javiはこれからも、家族の中で、遺した思想とプロセスの中で、そして交流を持った人々の心の中で長い間生き続けることでしょう。少なくともメキシコシティオフィスには多種多様なCulpa de Maggical(Maggicalに由来するもの)があり、私たちもそれを変えるつもりはありませんから。